プロフィール

はじめまして。
プロフィールをご覧いただきありがとうございます。

カウンセラー&ヒーラーの「しおやま あきら」です。

私は、自分の経験から主に職場の人間関係に困っている方、旦那さんや奥さんとの夫婦関係を改善したい方を幸せに導いて行くカウンセリング&ヒーリングを提供させていただいてます。

職場でのパワハラやモラハラ、セクハラで人間関係がギクシャク、夫婦関係がギクシャクして悩んでる、困っている方達たちを幸せに導くカウンセラー&ヒーラーです。

両親と兄と妹と私と5人暮らしをしていました。

記憶が残りだす、ちょうど私が5歳の時に妹が産まれて、母は妹のお世話と掃除、洗濯、料理と大忙しの日々。

父は、マイホームを建てたばかりだったので、仕事に大忙し。
家のローンで生活は切り詰めて生活していましたので、生活は苦しかったです。

子供ながらにその状況を理解していなかったので、

「甘えたいけど、甘えられない」

寂しい気持ちと、必死に生活してる両親を見てると、あまりわがままが言えなかったです。

一番ショックだったのは
小学校一年生の時に、小さい時の写真を持ってきてと言われた時、家に兄と妹の写真はいっぱいあるのに、自分の写真が0歳の時と5歳の時の写真、2枚しかなかったことです。

親に心配をかけて悲しい気持ちになった小学生時代

小学生時代はとにかく、背も高く力も強かったので、とてもわんぱくな少年で無茶なことも、たくさんして、毎日泥んこになったり、キズだらけになってました。

幼少期に甘えられなかったことが原因なのか心の中で何か満たされない物があって、毎日とことん外で遊び回ってました。

度が過ぎたのは、小学校4年生の秋に、みんなで工場の跡地に忍び込んで遊んでいて、大怪我をしてしまい、入院することになりました。
入院してすぐ寝てしまい起きたら、両親が枕元にいて、すごく怒られるかと思ったら、とても悲しい顏で心配そうに私の方を見つめていました。

この瞬間、とても大変なことをしてしまったんだと、罪悪感が襲ってきました。親にあんな悲しい思いをさせてと自分を責めてしまいました。

自分の行きたい道に行けずに就職

中学、高校と陸上部でハードル競技をやっていて、腰が痛くなったりケガをした時などは、接骨院に行って良くしてもらってました。

なので、私もスポーツ選手のケアに関わる仕事がしたいと思っていました。

高校卒業後は柔道整復師になりたくて、父親に柔道整復師専門学校に行きたいと言ったら、当時、妹も小さかったし父も57歳と高齢だったので、泣く泣く反対されて、本当にやりたい事が出来ずに就職しました。

高校を卒業してからスーパーマーケットに就職、順調に昇進していました。
27歳の時に結婚して、28歳の時に長男が誕生しプライベートでも順風満帆でした。

しかし、29歳ごろから職場では上司と部下と板挟みで人間関係も悪化しギクシャク、ストレスも多くなり辛い毎日になりました。

29歳の秋に辞令が出て違う店舗に転勤
そこでも上司と合わずギクシャク、そのうち妻とも喧嘩が多くなり職場にも家にも居場所がなくなり会社帰りに飲んでから帰ることが多くなりました。

ストレスで腰椎椎間板ヘルニア

ストレスが多い毎日を送っていたら、重い物を持った時に腰に激痛が走りその場うずくまり、しばらくすると良くなったので大丈夫かなと思って病院にも行かずその日は寝ました。

次の日、起きようとしたら、腰の激痛と足のシビレで起きられなくなり会社を休み、激痛に耐えながら病院へ。腰椎椎間板ヘルニアと診断され痛み止めの注射を打ってもらって帰宅。
明日からコルセットを巻いて、痛み止めの薬を飲んで会社へ。

その後、2度再発し辛い思いをしました。

修復不能になりついに離婚へ

妻との関係もギクシャクした状態が続き、なかなか冷静にお互いが話し合う機会がなく、ずるずると時間だけが過ぎて行ました。

妻の浮気とお金の使い込みが発覚して、修復不能になり、ついに離婚へ。
最悪の事態になり、心がボロボロになり生きて行く気力がなくなりました。